歴史と人口推移
南原区は、戦後の引揚者や復員軍人等の入植者により、昭和21 年から始まった戦後開拓で誕生した集落です。
三つ(玉川・黎明・泉)の開拓組合により開墾が進められ、昭和30 年に玉川開拓組合が開拓行政から一般行政に移行。原村地籍のうち22 戸で南原区として区政をスタートした。翌年、黎明開拓組合から5 戸、泉開拓組合から7 戸が入区し、34 戸となりました。
昭和40 年代後半ごろから入植者の二世が成人し結婚するようになり、また昭和50 年代に入って土地の個人売買などもあり、戸数も徐々に増え始めました。さらに平成に入ると、村開発公社や個人・民間業者による宅地造成も進み、平成30 年には74 戸250 人余が暮らす地区となりました。
区民行事と親睦活動
昭和49 年、原村が本宮一の御柱を引き当てました。それまで区としては消極的だった御柱への参加を、入植者の二世など若者が増え始めたことで、これからは積極的に参加しようという機運が高まり、この年“自称若者”による『南原若者会』が立ち上がりました。また、南原区で初めて小宮祭を行ったのもこの年で、以降7 年に一度の御柱年の行事として続いています。
昭和52 年1 月14 日、初めてのどんど焼きが開催され以降毎年行われるようになりました。
昭和53 年、南原神社が造営されると、それ以降の小宮御柱祭では、建御柱も行われるようになりました。
昭和55 年、入植から開墾が進み、農作物が収穫できるようになった頃から行なわれていた秋祭り(収穫祭)で、南原若者会による長持ちが初めて行われ、また、ゲームなどを伴った親睦イベントも併せて行われるようになりました。
若者を中心とした区民の団結
昭和62 年、女子綱引きチーム『おれんじハート』結成。数々の大会に出場し、入賞優勝を果たしました。
平成6 年、原村村民スポーツ祭で総合一位。南原の若者を中心とした団結力を原村中に知らしめる結果となりました。
平成31 年、冬季村民スポーツ祭で優勝。南原の団結力は健在です。
景観の維持と美化活動
区内に整備された道路の側溝や歩道との境にたまった土砂の撤去、通行の妨げとなる樹木の枝払いや道路脇の草刈りなど、春と秋の年2 回、区民全員の出払い作業で行うとともに、役員による区内パトロールで景観の維持にもつとめています。
防災・防犯活動
平成26 年、区民の自助と共助の精神に基づく初期活動体制の確立と自主的な防災活動を行う事により、地震・火災・その他災害による被害の防止および軽減を図ることを目的とした自主防災組織を設立しました。
アクセス
南原はその名の通り原村の南端に位置します。
原村中心地からはやや離れていますが、車での移動が中心の地方の地域にあっては、あまり気になりません。
むしろ、中央自動車道・JR・総合病院へのアクセスは非常に良く、生活する上で欠かせない食品スーパーにも近い環境です。